松本市カトマンズ市姉妹提携15周年記念
MHC2004年度山岳スポーツ振興事業
クーンブヒマール・アイランドピーク(6160m)登頂トレッキング19日間
2004年4月24日(土)〜年5月12日(水)
後援:長野県、松本市、松本市教育委員会、他
実施報告

NPO法人松本ヒマラヤ友好会(MHC)は、松本市民をはじめとする長野県内外の人々と、ネパール並びにヒマラヤ地域の人々との友好を深め、相互の理解と発展に寄与することを目的とし、この目的を達成するため、NPO活動として、文化・芸術・スポーツの振興を図る活動や国際協力の活動を行っております。
 そしてこの度、白銀のヒマラヤを控えるネパール地域との山岳スポーツ振興事業として市民参加を募り、クーンブヒマール・アイランドピーク(6160m登頂トレッキング19日間を計画いたしました。

4/24

松本発−(貸切バス)−名古屋空港−空路−香港着(飛行機の遅れの為、香港泊)

/25 香港−(飛行機変更により)空路−上海−深夜カトマンズへ
4/26 早朝AM5:00、カトマンズ着。市内には2時間の滞在のみ。キャンデール国際部長にホテルへ訪問してもらい、松本市からの柔道着8着をカトマンズ市役所へ寄贈・・翌日武道館の管理者白井氏へ渡される。
AM10:00カトマンズからエベレスト街道の玄関口ルクラ(2870m)へ飛ぶ。ルクラのロッヂで疲れた体をようやく休める事が出来た。ルクラ泊。
4/27 トレッキングキャラバン開始。サーダー1名(アン・ギャルブ26才)、クライミング・シェルパ2名、シェルパ4名、キッチンボーイ5名、キッチンコック1名、ポーター17名、ゾッキョ(ヤクに似た動物)4頭、ゾッキョを操る人2名、参加者8名、合計40名の大部隊で出発。山村風景が広がる山道を歩き、パグディン(2652m)で昼食、午後ドゥードコシ川に架かる吊橋を幾つか渡り樹林帯を抜け、陽が傾く夕刻、リンゴの木70本が植樹されているモンジョ(2850m)に泊する。
トレッキングキャラバンを開始 ラリーグラスが咲くタンボチェの丘
4/28 モンジョ村出口のジョサレで国立公園内入山の許可証チェックを受け、ドゥードコシ川沿いに進み、いよいよ標高差600mのナムチェバザールへの登りにかかる。高山病を懸念して、ゆっくり登る。ナムチェのラクパテンジン宅で昼食。ラクパテンジンは、1972年RCC同人の加藤保男氏のエベレスト登頂、最近では、三浦雄一郎氏のエベレスト登頂を助け、サーダーを務めた人だ。午後雲が湧き、展望の効かない街道を2時間登り、赤、白のラリーグラスが咲くサーナサ(3700m)に泊る。
4/29 サーナサから山腹をぐんぐん下り、テシンガを経て、吊橋を渡るとプンキタンガ(3190m)に辿り着く。ここからネパールの国花、赤いラリーグラスが群咲く樹林帯の急坂約700mを登る。見上げると白襞が輝くタムセルク(6623m)、豪快なカンテガ(6799m)が雲間に望まれ、圧倒されるようだ。ようやく大きなゴンパ(寺院)の建つタンボチェ(3867m)に到着、昼食とする。午後、2時間の登りで放牧地のカルカが広がるパンボチェ下村(3950m)に到着、泊する。夕方、ローチェ(8516m)とヌプチェ(7855m)の切り立った稜線上に、夕陽を浴びた世界最高峰エベレストの威容が、その姿を現した。前衛の白い先峰群を従え、まるで王者のように堂々と聳えている。皆、見惚れるように眺め、写真のシャッターを切った。 
4/30 パンボチェ下村から山腹を登り、イムジャコーラ川を右下に見て丘陵を進むと、カルカが広がるディンボチェ(4343m)に到着、泊する。午後高度順応の為、近くの小高い丘を4700mまで登る。夕方、目指すアイランドピークに陽が輝き、天候の回復を予感させた。
5/1 天気は次第に回復傾向。ディンボチェから、約3時間の登りでチュクン(4730m)に到着、泊する。2人のクライミングシェルパと合流する。アイランドピークにザイルをフィックスして来たという。午後近くの岩場の斜面で、ジュマー、8カンを使用してザイルワークの訓練をする。風が強く、雲の流れが早い。

4900m付近
いよいよベースキャンプへ

5900m付近から望むアイランドピーク6160m

5/2 天気は良好。チュクンから約4時間の登りでベースキャンプ(5050m)に到着。テントを設営する。午後、靴とアイゼンの装着具合をチェック。プレモンスーンの気まぐれな天気の変化を懸念して、明日夜中AM1:00に出発して、一気に頂上を目指す事とする。頂上までの登山と下山に耐えられるアタックメンバーを決める事とする。金子茂夫、中川善雄、松岡いつ子隊員の3名は高山病を懸念して、翌日の朝食後下山と決める。
5/3 ベースキャンプを月明かりを頼りにAM1:00出発。サーダー1名、クライミング・シェルパ2名、鈴木隊長、渡辺博、大平信一、高橋正幸、山田美知子、計8名でアタック開始。登リ続ける体が凍てつくように寒い。AM4:00夜がしらみ、次第に周囲の白い先峰にオレンジ色の朝陽が輝き始める。
 AM6:00頃、氷雪した岩場を登りつめ、5850mあたりで紅茶を飲んで一服。ハーネス、アイゼンを装着し、クレパスを避けながら雪の斜面を登る。5950mから約70度の雪壁に50mのフィックスザイル5本を頼りに頂上を目指す。空気が薄い所での作業は、なかなか困難である。

斜面70度の雪壁を登攀し、
6050mの稜線に登り出る。

ピークの頂を目指して登攀する。

 ジュマーを使用し、100mの雪壁を登り、6050mからは雪のナイフリッジを進む。更に70度を超える切れ落ちた雪壁を40mほど登り、ナイフリッジに登り出て45度の斜面を50m登りつめるとそこが頂上であった。
 AM9:50アイランドピーク(6160m)登頂成功。サーダー1名、クライミング・シェルパ2名、鈴木隊長、渡辺博、大平信一、山田美知子の計7名。高橋隊員は6050mのナイフリッジで待機する事となった。天候にも恵まれ、白く切れ立ったまさに神々の峰々が、連なりあって目の前に迫って見える。ローツェ(8516m)、マカルー(8463m)、チョー・オユー(8201m)の巨人も手の届くほど近くに聳えていた。

アイランドピーク6160m頂上直下のナイフリッジ アイランドピークに登頂成功
頂上に1時間ほど留まり、下山を開始する。頂上からの下りは、懸垂下降でクレパスに落ちないように、また器具が外れないように注意しながら200mを一気に滑り降りる。5850mで全員合流し、装備を取り外し、身軽になって岩場を慎重に降りる。全員疲労が濃く、20分〜30分歩いては一休みを繰り返す。
 PM4:00、ようやく5050mのベースキャンプ到着、テントに入り込み、疲れた体を休める。
5/4 ベースキャンプからディンボチェ 
5/5 ディンボチェからタンボチェ
5/6 タンボチェからクムジュン村へ向かい、クムジュン校訪問。松本ヒマラヤ友好会と日本外務省で資金援助をして建設された学生寮、食堂、台所等と600m引き込んだ水道の貯水槽を全員で視察。また授業風景も訪ねる。
先生達と学生寮の運営状況や今後の事業についても意見交換をし、大変、有意義な交流が出来た。5・7朝の寮での朝食風景も監察、台所も整頓され、電気コンロで調理する為、清潔に使用されている事にあらためて感心される。
後日5・12日本大使館訪問の際、大使館職員から「クムジュン校は、大学入試と同じ扱いを受けるSLC(卒業試験成績)が、地方としては最優秀の成績を修めている」と把握されており、今回訪問してみると、厳しいながらも良好な教育環境、生活環境が、良い成績へと反映されていると思われた。

クムジュン校新学生寮の前で、
入寮学生達と記念撮影

クムジュン校の女子学生達

クムジュン校のコンピューター室

クムジュン校の運営・建設委員の
ペンパチェリンと懇談

5/7 クムジュンからパグディン
5/8 パグディンからルクラ
5/9 ルクラから、厚い雲の中、空路エアーポケットに悩まされカトマンズに帰還。汚れた体をホテルの湯で洗い流す。午後、気持を新たにして、スワヤンブナートや旧市街地を散歩する。
5/10 AM8:30〜9:00参加者全員でカトマンズ市長を表敬訪問。元気な姿の市長から歓迎を受ける。挨拶の後、エベレスト等の登山交流について新提案を受ける。
新提案を松本に持ち帰り、人員、予算、日程等議論をして、返答をする事とする。
朝のお祈りの時間にカトマンズ・ケシャブスタピット市長を表敬訪問 カトマンズ市新庁舎を訪問
午前と午後バスを貸切り、参加者はカトマンズの世界文化遺産、ボドナート、パシュパティナートの宗教建造物、いにしえのカトマンズを彷彿させる古都バクタプールの街を探訪する。
 夕方、松本ヒマラヤ友好会の国際協力事業基金から奨学金を支給しているカトマンズの短期大学生(年間10人)とタメールのレストランで交歓会を行なう。奨学生の学生生活の現況や将来の希望を語り合う。奨学金の値上げも検討された。
ツェリン・ユティン ツェリン・オング ペンバ・ヌル ペマ・シェルパ
出席してくれた奨学生

勤勉な彼らが、ネパールの各地域の将来を担ってくれるでしょう。

アン・ダワ ミグナ・ツェリン アン・ヌル
5/11 5/11〜12の2日間、カトマンズでゼネストが決行され、車両通行止めとなり、外出禁止となる。しかし、早朝AM6:00〜8:30参加者全員で柔道、剣道を練習している武道館を訪問。もちろん今日は使用されていなかったが、管理を担当しているジャイカのシニアボランティアの白井氏より建物の様子と使用状況の説明を受ける。 
5/12 PM3:00参加者全員でネパールの日本大使館、鳥取さんを訪問。松本ヒマラヤ友好会が日本外務省と共に建設したクムジュン校学生寮についての現在の運営状況を説明、今後も連絡を取り合う事とした。クムジュン校の学生寮は、日本大使館では、優良プロジェクトとして位置づけられていた。
5/13 AM3:30カトマンズを離陸。上海を経て 関西空港へ飛ぶ。
PM3:30雨の関西空港へ無事(!)到着、貸切バスで松本へ
PM9:30家族が出迎える松本へ到着。主催者、鈴木理事長の挨拶。「長い日程について皆様にご心配お掛けいたしましたが、全員無事で帰還することが出来ました。そして目的のアイランドピークの登頂も果たし、MHCの国際協力事業を視察し、貴重なネパールの人々との国際交流も進めることが出来ました。またカトマンズ市と松本市の姉妹都市交流の責任も、充分果たして来る事が出来ました。皆さんのご理解ご協力に感謝申し上げます。」
今回の事業を実施するにあたり、ご支援、ご協力頂いた皆様にあらためて感謝申し上げます。
アイランドピークは、今シーズン5団体が登頂、MHCはその内の1団体である。
シーズン中30〜40人が登頂するが、冬期(12〜2月)は数名しか登頂することが出来ない困難なピークである。                                

平成16年5月17日 

  各  位

特定非営利活動(NPO)法人 松本ヒマラヤ友好会
理事長 鈴木雅則