2006MHC姉妹都市文化交流事業 ネパール文化紀行 事業報告書
ヒマラヤを仰ぎ見る古都カトマンズ探訪・アンナプルナ山群展望ハイキング・
釈迦生誕の地ルンビニ訪問8日間
 長野県、松本市並びにマスコミ各社の後援、そして市民の皆様のご協力を得て、松本市民をはじめとする13名が参加し、2006年12月27日(水)から2007年1月3日(水)に実施致しました。参加者一行は、白銀のヒマラヤを展望しながら、ネパールの8つの世界文化遺産全てを訪ね歩き、日本の文化との深いかかわりに感銘を受けながら、松本市と姉妹都市カトマンズ市との友情を深める市民交流の責任も果たして参りました。
2007.1/2マウンテンフライト、世界最高峰エベレストを望む。 世界文化遺産を探訪する。
 2006年12月27日早朝AM4:00、松本を貸切バスで出発。穏かな日よりの中、高速道路を順調に走り、関西国際空港には、AM10:00に到着。ここで、東京羽田からの航空便を利用した参加者2名を含めた13名全員が合流し、AM12:40発の上海経由の直行便、ロイヤルネパール航空で憧れのネパールへ向け日本を出国する。機窓からは、雲海の切れ間に、離れ行く日本の沿岸が望まれる。
 ネパール現地時間PM7:45、既に陽が沈み、灯火に照らされたカトマンズ空港に飛行機は着陸する。空港では、カトマンズ市役所並びにMHC支部より花輪で歓迎され、この夜、カトマンズ王宮前通りのアンナプルナ・ホテルに長旅で疲れた体を休める。
カトマンズ市役所より花輪で歓迎される。 カトマンズ市役所タパリヤ市長代理を表敬訪問する。
 12月28日、世界最高峰エベレスト8848mを望むマンテンフライトの為、早起きしてAM6:30朝食のテーブルに着く。白む朝がきても、古都カトマンズの街は、濃い霧に煙っている。AM7:00カトマンズ国内飛行場へ向う。空港内には、世界中から予想外に大勢の人達が集まっていた。しかし上空の霧が晴れず、AM10:30今日のフライトは断念して、カトマンズ滞在中の次回を期待して、ホテルへむなしく帰還する。

 AM12:00カトマンズ市役所に、ディネッシュ・クマール・タパリヤ、カトマンズ市長代理を表敬訪問する。歴史を感じさせる白いコンクリート造りの庁舎を訪ねると、職員皆笑顔で、私達の訪問を温かく迎えてくれた。MHC鈴木理事長の挨拶の後、参加者一人一人が自己紹介するとタパリヤ市長代理は、「国際的姉妹都市提携は松本市が最初であり、松本との交流を大切にしていきたい」と歓迎の意を表した。夕食はカ市が招待し、ネパール料理をご馳走するとの約束を頂き、30分程で訪問を終える。

 昼食後、「カトマンズの銀座通り」と呼ばれるニューロードを歩き、ユネスコの世界文化遺産、カトマンズ・ダーバースクエアー(旧王宮前広場)へ向かう。付近一帯はハヌマンドカと称され、多くは14世紀から18世紀までの建物や寺院が建ち並んでいる。
 私達は、旧王宮内に入り、その中で最も大きくて高い建物、木造9階建、高さ31mのバサンタプール・バワンの最上階に昇る。大きな屋根を支える方杖にはシバ神とパールバティ神妃の男女媾合像が見事に彫刻され、最上階に昇ると、小鐘が吊り下がる小窓から、午後の陽に照らされた古都カトマンズ市街が一望できる。

 ホテルまでの帰り道、庶民対象の日常生活品が売られているアッサントーレを歩く。
昔インドからチベッットへの交易ルートとしても使われ、市場が開かれていたが、12世紀頃から今の町並が造られていった。道幅は3m程で、道の両脇には、間口が狭く奥行きのない店がひしめき、鍋、釜、壷、衣料品、化粧品、仏具、カーペット、近郊からの野菜、イチゴやミカン等の果物など、種々たくさんの品物を売っている。
バサンタプールバワン9階建31mから望むカトマンズ市街 アッサントーレを歩く 体中カバンを吊り下げて売る
  道には身動きできないほどの大勢の人が歩き、その中をリキ車が走り、警笛を鳴らしてバイクが通り、荷を積んだ手押し車が進む。まさに“雑踏”の中を歩く。私達は、ある一軒の店に入り、カーペット、パシュミナ、マンダラ絵等を物色する。品物には、正札がついていないため、値段交渉から始まる。買値売値が決まるまで時間のかかる交渉をすることになる。

 夜、カトマンズの異人街と呼ばれるタメール地区ホテル内の食堂で、カトマンズ市役所主催の夕食会に、参加者全員とMHC大河原カ支部長らが招かれる。タパリヤ市長代理、カ市部長等6名が出迎えてくれた。2時間余、ビールとウイスキー、ネパール料理に舌鼓を打ちながら、日本語とネパール語、英語が飛び交い、自己紹介しながらカトマンズの事を語り合い、市長代理並びに旧友人達と親交を深める事が出来た。

 12月29日、AM8:30私達の宿泊ホテルへ、クムジュン校(小中高)の運営委員パサンダワ氏と、経営に携わるヒマラヤン・トラスト、カトマンズ事務局のツクテン・シェルパ氏が来訪。安曇野市穂高北小学校のPTAと学校生徒が収集した鉛筆やノート等の文房具約20kgを手渡す。山間部で勉学に励む生徒達には、文房具が全く足りないのだ。
この文房具は、カトマンズ国内空港から、エベレスト街道玄関口ルクラへの定期飛行便に乗せられ、ルクラからはゾッキョまたはポーター等により2日かけて、クムジュン校まで運ばれる事になっている。
 AM9:00ホテルを貸切小型バスで出発。聖なるガンジス川の源流部をなすパグマティ川のほとりに建つ、世界文化遺産パシュパティナートを訪ねる。ここは、ネパール最大のヒンズー教寺院、破壊神シバ神を祀る。毎年2月シバラットリ祭には、インドからの巡礼者も多く、沐浴する姿も見られる。石橋を渡った対岸には、シバ・リンガム(男根)を祀った白い小堂が100基以上群立している。寺院の下流部の焼場では、煙が立ち昇り、遺体が荼毘にふされていた。
文房具20kgを渡す。 世界文化遺産パシュパティナート 遺体が茶毘にふされ、煙が立ち昇る。
 遺体は、井桁に組んだ薪に載せられ、米藁を被せて火葬される。骨灰は川に流され、それが至福とされる。ネパールの85%以上のヒンズー教徒には、お墓は無い。ヒンズー教も仏教も、古代インドのバラモン宗教から発し、同様に輪廻転生を信仰する。

 次に、世界最大級のストゥーパを擁した仏教寺院、世界文化遺産ボド・ナートへ向う。AD500年には、建造されていたという。既に朝早くからヒマラヤ各地から多数の巡礼者が訪れていた。巡礼者は、最下部の基壇を右回りに歩き、外周に連なる700個のマニ車を右手で回し、数珠を手に「オンマニペメフム」と呟くように経文を唱え、あるいは全身を地面に投げ五体投地をする人、基壇にはめ込まれた仏像の前に座り込みお経を読む人、様々な方法でお祈りを繰り返している。
世界文化遺産ボド・ナート 最下部の基壇を巡る巡礼者
 私達も基壇上部に昇り、右周りに廻ってみる。最上部の金色の尖塔から、大宇宙を表わす黄、緑、赤、白、青の五色のタルチョーが、万国旗のようにはためいていた。外周囲には、明治時代、真の仏教を求めネパール、チベットを訪れた河口慧海の功績を称えるレリーフが壁に嵌め込まれていた。ネパールの人達にとって、彼の人柄の印象が、日本人へのイメージになっているという。先人達に学ぶべき事が多い。

 PM2:30過ぎ、カトマンズから16人乗り軽飛行機で、ネパール第二の都市ポカラへ飛ぶ。上空には雲が厚く沸き上がり、なかなか視界が得られない。機体を揺らしながら雲上へ抜ける出ると、豪快に聳えるマナスル(8163m)の白峰が目の前に飛び込んできた。その壮麗な姿に魅せられていると、機体は再び白雲に被われ、しばらくで降下態勢に入り、PM3:00ポカラ空港へ着陸する。
雲上に現れたマナスル(8163m)の白峰 着陸したポカラ空港
 空港には、MHCカ支部の会員パサンギャルゼンが待っていた。彼は、エベレスト山麓のナムチェバザール出身。カトマンズ旅行代理店ポカラ支店長の仕事を担い、ポカラに家を構え、ポカラ周辺のトレッキングや、旅行の世話をしている。一度MHCの招待で松本に来てもらった事がある。彼の手配で、私達一行は、早速2台の車に乗り込み、今日の宿サランコット(1667m)頂上近くに建つホテルに向う。

 飛行場から舗装された道を、エンジンを唸らせながら登って行く。ポカラは、標高800m〜900m、温暖で周辺農地も緑豊かで、段々畑には菜の花が咲き、人々の表情も穏やかに感じられる。私達は心が洗われるようなネパールの美しい一面に触れながら、約1時間で、今日の宿、標高1600mのアンナプルナ・シェルパホテルに到着する。
私達の車の前を走る定期バス 緑豊かなサランコットの情景
 山の稜線に建つホテルからは、アンナプルナ・ヒマールの大山群が望まれるはずだったが、厚雲に被われ、展望が効かない。主人の配慮で、庭の中央の薪に火が点けられ、キャンプファイアーとなった。陽が落ちた薄暗がりの中、赤く燃える火を囲み、地酒のロク酒が振舞われる。皆、安堵したのか、ほろ酔い気分で盛り上がり、唄に興じた。

12月30日、AM5:30起床、上空は満天の星空。AM6:00暗い庭で全員体操。ホテルで用意してくれた温かいミルクティー飲み、いざサランコット・ピークを目指す。このピークは、街から比較的近くにあり、アンナプルナの大展望を得られることで有名だ。皇太子浩宮様もネパール訪問の際、登られたピークだ。ホテルからは20分程で到着。麓からもピークを目指して、暗いうちからたくさんの人達が登って来ていた。

東の空に日の出を迎える アンナプルナの白峰に感激する
アンナプルナは、古代インドのサンスクリット語で「豊穣の女神」を意味する。1950年フランス隊によって、アンナプルナT峰(8091m)が登頂され、「人類はじめての8000m峰登頂」のニュースが世界中に広まり、8000m峰登山ラッシュが始まった。東西80km、西のカリガンダキ河と東のマンシャンディ河との間に、白銀の屏風を連ねている。

 眼下には雲海が広がり、上空は快晴。しかし北方に帯状の雲がたなびき、ヒマラヤの展望が効かない。AM7:15霧雲の中、東の空に日の出を迎える。上空の空が赤らみ、流れる厚雲の上部に、予想以上の高さでマチャプチャレ6993mの先鋒がまず姿を現し、橙色に輝き始めた。続いて東方のアンナプルナU峰7937m、そして西方のアンナプルナサウス7219mの白峰が雲間から交互に、その壮麗な姿が見え隠れする。
アンナプルナ前衛マチャプチャレ6993m アンアンプルナU峰7937m
AM8:00私達は、これ以上の展望を諦め、ホテルへ帰還。それでも展望に一喜一憂しながら、遅い朝食を摂り、AM9:45温かいもてなしをしてくれたホテルオーナーに別れを告げ、車の待つ山の中腹目指して、山路を下る。途中、路沿いの小店に立ち寄り、手工芸品やダカ織、アンモナイトなどを買い求め、楽しいハイキングとなった。
菜の花咲く山路を下る 路沿いの小店でダカ織を購入
AM11:30、ポカラ空港へ到着。早速荷物を預け、搭乗手続きを行うが、情報では、ルンビニ近くのバイラワ空港が霧の為視界が悪く、天候回復待ちだと言う。私達は、空港屋上でゆっくり昼食を摂り、近くにあるパサンのポカラ支店長宅を訪問する等して時間を潰す。PM2:30飛行可能の合図が出て、ようやく16人乗りチャター便に乗り込み、南方インドとの国境近くのバイラワ空港へ向かう。

飛来すると、今まで厚雲に隠れていた白峰の大巨人、ダウラギリ8167m、アンナプルナT峰8091mがその荘厳な姿を現した。しかし、これら峰々も、徐々に後方に遠ざかっていく。飛行機は、低く垂れこめた雲海上を飛び続け、しばらくで降下を開始する。機窓からの視界が真っ白になり、その雲の中を抜けると、緑の農地が見え、バイラワ空港への着陸態勢に入った。PM3:15バイラワ空港到着。
マンゴーの木の街路樹が茂る街道を進む 古代レンガのストゥーパが立ち並ぶルンビニ
バイラワ空港からは、早速お釈迦様の生誕地ルンビニに向う事とする。豊かな農耕地を抜け、両脇にマンゴーの木が植えられた道路を車で走り、途中イラク元フセイン大統領死刑の抗議デモに出くわしながら、PM4:00ルンビニ到着。ルンビニには、夕刻時でありながら、大勢の参詣者達が、往来していた。私達も車を降り、いよいよお釈迦様の生誕地に入る事とする。
 今から2500年以上前、シャカ国のマヤ王妃が実家に出産の為帰省する途中、このルンビニの花園でマヤ王妃が真紅の花に手を伸ばした時、ゴータマ・シッダールタ王子が誕生した。現在存する池は、マヤ王妃が沐浴した池といわれている。マヤ王妃は、出産後7日目に死亡する。
発掘されたマーヤデビ寺院内部 マヤ王妃が沐浴した池と遺構を囲む建物
 シッダールタ王子は、シャカ国のカピラ城で青春時代を過ごし、人間が「生老病死」の苦からどう逃れられるかと苦悶し、北門から出た時、修行者に出会い“悟り”の世界があることを知る「四門出遊」。29歳で出家し、6年の修行の後、35歳の冬のある日、大きな菩提樹の下で悟りをひらき“仏陀”となったといわれています。
 かたよらない精神(中道)で、あわれみの心(慈悲心)をもって、正しい生き方(八正道)をすれば、人々はみな救われる(万民救済)という教えを説いています。

お釈迦様は、その後45年間各地を説法して廻り、出生地ルンビニの方に向って旅に出かける途中、クシナガラの近くで食中毒にかかり、死期を予感する。沙羅双樹の下、頭を北にして、西を向いて横になり、弟子達には、「生あるものは、かならずほろびる。」「宇宙の真理、法をよりどころとして生きていくように。」と説いて、静かに生涯を閉じる。(入滅する又は涅槃=ニルバナ【サンスクリット語】ともいう)
釈迦誕生を示すアシャカ王の石柱 マヤ王妃が沐浴した池脇に聳える菩提樹
その教えは、多くの弟子達により受け継がれ、教えを整理して結集されたのが、今も伝わる仏教の経典である。仏教は、アジア各地に広がり、日本には6世紀半ば朝鮮半島を経て伝えられ、飛鳥時代の仏教文化が花開き、この教えが今日でも私達日本人の心の中に、深く生き続けている。

 私達は、遺跡の中心部に徒歩で向う。正面に発掘したマヤ堂(BC3)の遺構を囲むレンガ色の大きな建物が建っている。周囲には、マヤ王妃が沐浴した池、マウリヤ王朝(BC4〜BC3)第三代目のアショカ王が建立した釈迦生誕地を記す石柱、仏塔、奉献塔があり、おごそかに見学して回る。マヤ堂は、BC3世紀頃創建されたといわれ、全日本仏教協会支援のもとルンビニ・デべロップメント・トラスト、ネパール考古局の手で創設当初まで発掘調査が行われました。現在、私達は発掘調査後に大きな建物に囲まれた貴重な遺物を鑑賞する事ができます。
 
ルンビニをPM6:00前出発。暗闇の道を走り、PM7:00今日の宿ホテル・ニルバナに到着する。皆、どこか感慨に浸っている夜なのか、夕食後、各部屋にて静かに就寝する。

12月31日AM6:00朝食。AM6:45ホテルを出発して、視界約50mの濃霧の中、
ルンビニから西北29kmの距離にある、釈迦が青春時代を過ごしたカピラ城跡を訪ねる。農耕地の村々を抜け、AM8:45カピラ城跡に辿り着く。
政府管理者より現場の説明を受ける 釈迦の父スタッドーダナと母マーヤデビの墓と伝えられる。
 カピラ城は、1901年考古学者ムケルジ−氏により遺構の全体図が示された。城跡は、南北約500m、東西約450mの長方形状を呈し、レンガ又は土塁で囲まれていたという。
 釈尊当時の遺構は、地面下約2.5m付近に埋もれたままとなっている。一部発掘した現場の説明を、政府管理者より聞き、さらに内奥に向かいおそるおそる敷地上を歩くと、塀又は建物の当時の遺構が地表に現れていて、そのレンガに触れる事ができる。
 カピラ城から北へ10分程歩いて、お釈迦様の父スッドーダナと母マーヤデビの墓、古代レンガで造られたストゥーパへも案内してくれた。
 私達は、釈迦が苦悶した青春時代のまさにその場所に立ち、2500年前、門を出でてシッダールタ王子が出家を決意し、修行と苦悶の後、悟りを開き仏教が生まれた事を思うと、それが現在に至るまでアジアの人々の心のよりどころとなり、2000年以上世界の文化の発展を築いてきた事を思うと、限りなく深い感慨を覚えてしまうのでした。
 AM10:30私達は、ルンビニの仏教公園都市に向う。この公園都市作りは、元国連事務総長であった故ウタント氏の提唱により進められ、世界各国から僧院、寺院、仏塔の建築が、互いの国の友情と平和を願いつつ進められている。広大なルンビニのマスタープランは、日本人建築家丹下健三氏の案で、この地を世界規模の聖なる場所にすべく考案されました。
ミャンマーの仏塔 タイの塔 日本の仏塔
 広大な土地の為、車で各国の建物や敷地を巡る事にし、私達はミャンマー、タイ、日本の仏塔を訪ねました。他に中国、台湾、チベット、ネパール、スリランカ、ベトナムなどの仏塔・僧院があり、韓国は中国の隣に位置し、壮大な建物を建築中であった。
 現在、釈迦誕生の地で各国の協調が友情と信頼を生み出しています。ルンビニは、世界の平和の象徴として、お釈迦様の教えがここに生かされているといえるでしょう。
 ルンビニで昼食後、バイラワ空港へ向かい、PM5:00前カトマンズ空港へ向け飛来する。エンジンを唸らせ、雲上へ上昇すると、機窓から北西方向に、巨峰ダウラギリT峰8167m、アンナプルナT峰8091m、U峰、V峰、W峰の大山群が大迫力で望まれる。西空に太陽が傾き始め、最後の夕陽に照らされてマナスル8163mの美しい峰が鮮やかな橙色に輝いている。7000m級のガネッシュヒマールの山群を横切り、夕闇迫る空にランタンリルン7225mが、微かに映し出される頃、機はカトマンズ空港へ降下をし始める。PM6:00カトマンズ空港へ到着する。
アンナプルナサウス7129mの勇姿 最後の夕照に輝くマナスル8163m
 ここから、カトマンズより東方34kmの小高い丘、標高1440mのドリケルへ向かう事とする。ネワール族の住む交易都市バネパの通り過ぎたところにあり、カトマンズからの道路も整備されている。
 夜の道を快適に走行し、PM7:00ホテルへ到着。山小屋のような別棟形式の部屋に泊まる。ロク酒で体を温めた夕食後、屋上のべランダに昇る。夜空には星が瞬き、眼下に街の灯火が眺められ、少し感傷に浸る。
眼下に街の灯火が瞬く 夕食にネパールの地酒ロク酒がふるまわれる
  1月1日AM6:30屋上に全員が集合し、7000m級のジュガールヒマール山群の展望を待ち望んだ。しかし眼下は深い霧が蔽い、ヒマラヤ展望はなかなか望めない。AM7:15過ぎ、東の空が茜色に染まり、2007年元旦の初日の出を迎える。「おめでとうございます。」昇る太陽に合掌する。 
 朝食後、AM9:00ドリケルを出発する。丘を下り、「信仰の町」バクタプールに向う。ここは、中世都市を彷彿とさせる、いにしえのカトマンズを最も良く残している街だ。889年に築かれ、マッラ三王朝時代はここが首都であった。私達は、街の東方面から趣のあるレンガ敷の道を通り、ダッタトラヤ寺院が建つタチュパルトーレの広場に出る。ダッタトラヤ寺院は、一本の大木で15世紀に建造されたという。近くには、同時代に作られた孔雀の丸窓が芸術性を高く評価され有名だ。
街にヤギの親子が歩く 子供を抱え又ミルクを持ち歩く若いお母さん 狭い小道を行く
 レンガ造りの家並が続く道端の両側には、座りこんでおしゃべりする女性達、赤ん坊に乳をやる若い母親、暇そうに店番をするおじさん、日向ぼっこする老人達、道の曲りの空間を利用して果物、野菜を売る露店商。私達ものんびりとそんな光景を目にしながら道を歩むと、背の高い五重の塔が建つトゥマディトーレ広場に抜け出る。
ダッタトラヤ寺院前の力士像 青野菜、芋類を売る店 青野菜を天秤で担って運ぶ
 ここには、ビシュヌ神の神妃ラクシュミーを祀る、ネパールでは最も高い、高さ36m、1708年に建造されたニャタポラ寺院が建っている。基壇の石段の両側には、力士、象、獅子などが配され本尊を守っている。私達は、基壇の石段の上部に昇り、ひと廻りしてみると建物木部の緻密な彫刻とその歴史の古さにあらためて感銘をする。
公共水場で洗濯する女性 豊富な果物が並ぶバザール商品と行き交う女性 靴屋の看板娘?
 一息後、みやげ店が並ぶ通りを抜け、世界文化遺産バクタプール・ダーバースクエアー(旧王宮前広場)へ歩みを進める。広場の周囲には、1737年建造の石造りのバサトラ寺院、1427年マッラ王の住居として建てられた「55窓の宮殿」がある。3階部に造形的に優れた木彫の55の連窓が巡らされている。只今、竹の足場が組まれ、修繕中であった。
高さ31mニャタポラ寺院とその基壇から見るパイラブ寺院 ダーバースクエアーを歩く参加者
 ゴールデン・ゲートから内部に入ると、聖なる月、太陽、水瓶などが図案化された見事な彫刻の扉がある。これらの建物の内部では、昔と変らず今も同じお祭りの儀式が行われる。内部の小広場には太い杭が立ち、そこに十頭以上の山羊を繋ぎ止め、神の生贄として首を落とし、小広場は血の海になるという。
 私達は、中世都市そのままに残る世界に、心身とも浸りながらバクタプールをあとにした。
カトマンズ最古のチャングナラヤン寺院 ガルーダに乗るビシュヌ神
 車は小高い丘の上に建つ世界文化遺産のチャングナラヤン寺院へ向う。眼下のカトマンズ盆地は、ようやく朝霧が晴れてきたようだ。チャングナラヤン寺院は、AD325年に創建され、カトマンズ盆地で最も古く、ヒンズー教の三大神で宇宙の維持者ビシュヌ神を祀る。車を降り、村家の間の参道を10分程歩くと、彫刻の方杖に支えられた二層屋根の寺院が建つ境内にはいる。境内には、ビシュヌ神の乗り物人顔のガルーダ(金翅鳥)等、6〜7世紀作の石像等が置かれている。寺院の周辺を見下ろすと、段々畑が広がり穏かな山村風景になっている。
 PM1:00カトマンズの「ホテル・サンセットビュ−」のレストランでそば料理を賞味する。ネパールでは、ダウラギリ(8167m)の麓ツクチェ村(2600m)周辺で“そば”が栽培されてる。そのそば粉をロバが運び、車でカトマンズへ運んできます。ネパールの青年が、長野県戸隠村で研修し、手打のヒマラヤそばを打ってくれていた。そばだんご、海老の天ぷら、そばつゆも付く本格的な手打ちそばだった。カトマンズへ行ったら「ヒマラヤそば」をご賞味してみては・・。
盛りだくさんのそば料理を食べてご機嫌の参加者
 昼食後、私達一行は、カトマンズの西の小高い丘に、2000年前に建造されたストゥーパ様式の仏教寺院、世界文化遺産のスワヤンブナートに向う。正面玄関から、385段の急な階段を一歩一歩登る。到着すると、「モンキーテンプル」と別名呼ばれているように猿が多い。猿の体は小柄で、人には悪戯はしないようだ。中央に建つストゥーパの四面には、森羅万象を見通す仏陀の目が描かれ、前面に仏像を配した多くの小塔群が建ち並んでいる。
参道の385段の階段を登る 基壇外周のマニ車を回し巡る
  私達は、別棟に座す観音菩薩像に手を合わせ、2007年1月元旦の初詣をする。この場所から東の方向には、午後の陽射しに照らされたカトマンズ市街が広く望まれ、北方には、ランタンリルン7225mの美しい峰が純白に輝いていた。

夕方PM6:00、タメールにあるレストランで、タパリヤ・カトマンズ市長代理らを招待して、MHCカ支部主催の返礼のレセプションを開催する。ここは、世界の有名なクライマーたちが集う場所にもなっていて、店の壁にヒマラヤ登頂写真や記念サインが飾られている。

2階の店内では、カトマンズの短期大学に通うMHC奨学生や卒業生ら男女14名が、目を輝かせて待っていてくれた。カトマンズ市役所からも、タパリヤ・カトマンズ市長代理、職員上級幹部や部長ら6名が駆けつけてくれた。鈴木理事長は、レセプションの挨拶もそこそこに、奨学生らに会えて嬉しく、奨学生ら一人一人から、今の学校生活や両親から離れての単身生活やら、将来の希望等について身を乗り出して聞いている。
出席してくれたMHC奨学生11期生と卒業生達。皆カトマンズの短期大学に通学する勤勉学生だ。
 一時間もすると、座が一層盛り上がり、固かった奨学生等も雰囲気に打ち解けて、私達参加者と楽しく会話(?)を交わしている。互いに、ジュース、ビール、ウイスキーが酌み交わされ、参加者からも奨学生激励のエールが送られる。理事長は、カトマンズ市役所の古い友人達と、市民交流や事業協力について情報や意見を交換し合う。
最後の晩餐会に、タパリヤ市長代理、MHC奨学生ら35名が集まり、交流しました。
レセプションのクライマックスは、奨学生らによるシェルパダンスの勇壮な踊りだった。そしてお別れは、参加者皆で手を結び合った橋を潜ってもらい、奨学生を送る事となった。「さようなら、また会いましょう!」
 この日の為、準備に奔走し、MHC大河原カ支部長、パサンダワ奨学金事務局長にあらためて感謝するとともに、市長代理はじめカ職員の人達に心からお礼を申し上げたい夜だった。
 1月2日AM6:30朝食を摂る。当初断念したエベレスト方面のマンテンフライトを
この日早朝より実施する事となった。しかし、外の様子を見ると、霧が深く、当分飛行機が飛ぶ気象状況ではなさそうだ。
 AM7:15ホテルからは、日本政府と松本市民の資金協力で建てた武道館へ向う事にした。到着した武道館では、朝稽古が行われていた。1階では、柔道、体操、ウエイトリフティング、2階では、空手の稽古が指導者のもとに行われていた。使用については、それ以外にも多目的にされているという。建物については、以前より外便所や雨樋も改修しているが、一部新たな破損も明らかにあり、今後も管理改修作業が継続的に行われることが必用であろうと思われた。
松本市民の資金協力で出来た武道館(MMAC) 講堂で行われた朝稽古の様子
  AM8:45カトマンズ国内空港に到着。どうやら未だ一便のフライトも無い模様で、大勢の人達が待機している。私達も、霧が晴れるのを辛抱強く待つ事とする。そしてとうとうPM12:00、私達の乗る16人乗り小型機は、エンジンの轟音を唸らせ、滑走路を走り、空へ飛来する。
 飛び上がるとすぐに世界の屋根ヒマラヤの大展望に胸を躍らせた。7000m級のランタン、ジュガールヒマール、ロールワリンヒマールの純白の山群が目に飛び込んで来た。
 機内では、身を乗り出し、カメラの撮影に忙しい。パイロットの窓前方にカンチェンジュンガが望まれ、左方向にエベレストはじめ8000m峰4座を控えるクーンブヒマールの大山群が我々を圧倒する。
チョオユー左8201mの勇姿 世界最高峰エベレスト8848mの勇姿
 西からチョオユー(8201m)、若い頃の植村直巳さんが登ったゴジュンバカンU峰(7646m)、長野県山岳連盟が初登頂したギャチュンカン(7951m)、数々の登頂エピソードを持つ世界最高峰エベレスト、ローツェ(8516m)、マカルー(8463m)、そして前衛の6000m級の無名峰。一時間余のフライトは、皆にとって待ち望んだ世界の屋根ヒマラヤ山群であり、新年を迎えた私達への最高級の贈り物だった。
撮影に忙しい機内の様子 ガウリシャンカール7134m フライト後大満足の参加者「バンザーイ」
 興奮覚め止まないまま、カトマンズ、タメールの日本食レストランを訪ね、昼食を摂る事にする。「ふる里の味」と日本語で書かれた看板が掲げられている。皆には、懐かしい事だろう。メニューもしょうが味豚肉定食、カツ丼、たぬきうどん等があり、日本への郷愁を感じたかもしれない。ビールで「乾杯!」「おめでとう」と祝杯をあげる。

 PM2:30カトマンズの南5kmにある盆地第2の都市パタン市を訪ねる。パタン市は、旧名「美の都」の意を持つラリトプールと呼ばれていた。3世紀からの歴史があり、15世紀から17世紀のマッラ王朝時代は、三王国の一つだった。旧王宮は、塔と寺院が建ち並び中世建造物の極致といわれる。
仏教寺院ゴールデンテンプル 外壁一面に、嵌め込まれた如来像や菩薩像
 私達は、交通量の多い表通りから、人々が集うチョーク(広場)を2つ、3つと通り抜けて、12世紀からの起源を持つ、仏教寺院ゴールデンテンプルを訪ねる。燈す灯と響く鐘の音色に、人々の信仰深さを感じる。ここから5分ほどで、建物が建ち並ぶ旧王宮前広場に辿り着く。ネパールの歴史と文化をあらためて認識させられる場所だ。歴代王が建造、増築を繰りかえし、特に17世紀建造のインド・ムガール建築の影響を受けた石造りのクリシュナ寺院が特異な美しさを誇っている。
建物が立ち並ぶパタンダーバースクエアー(旧王宮前広場)
パタンの町家は、細い路地に入っていくと、四面を町家で取り囲まれた、チョークと呼ばれる小さい広場に出る。そこには井戸があったり、子供の遊び場にもなっている。旧市街はどこでも、四角い小広場や、内庭的な空間部を中心に1ブロックになっていて、それらが接合しながら町並へと発展していく。古い町並を覗くと、同様の構造をもって建ち並んでいる。
街中にある数多くのチョーク 老人の憩いの場、子供の遊び場、宗教行事の場ともなっている。
街中にある数多くのチョーク 老人の憩いの場、子供の遊び場、宗教行事の場ともなっている。
去る2006年9月28日、松本市Mウィングで姉妹都市文化交流事業として開催されたMHC主催の報告講演資料、「カトマンズの世界文化遺産と伝統的な街づくり」の小冊子では、カトマンズ市役所からチョークについ次のようにの解答(英文→日本文)がされています。

3 旧市街地内と郊外の新しい開発基準、規制について
3-1 公園、緑地の形状、その大きさ数多くの公園と、緑地があります。しかしながら、庭や緑地の大きさや形状についての詳細の情報がありません。
3-2 ・寺、塔、チョークの配置は、決まっていますか?
寺院、塔、チョークなどの配置についての規定はありません。
・ カトマンズ市内には、チョークや庭園が多くありますが、チョークの役割と旧市街に対し、どのような役割を果たしていますか。
たくさんのチョーク、別の言葉で言うと中庭があります。カトマンズでは、チョークは政治、社会、文化等の時事や宗教行事を含む関心事を討論する社交場として造られており、市中はそのように街が造られています。そして特に子供には遊び場として、高齢者には、くつろげる場として空間を開放しています。このような街の構造は、居心地が 良く、環境に良い構造とされています。
・宮廷内のチョークは、行政関連の討論をする場だと思われますが、市街地にあるチョークは市民の社交場や祭りを行う場としての役割を果たしていますか。
至るところにあるチョークや小規模な庭は、神や女神に捧げる花々を育てる温室として使われているほか、皆に開放されています。基本的にチョークは、コミュニティの目的として使われる場所でチョークに属するコミュニティのメンバー達は、日々チョークの維持に努めています。
パタンの街は、またネパールの伝統工芸を世界に輸出している職人の街でもある。細工を施したアクセサリーや仏陀の金属像の買い物をして、夕闇迫る頃、ダーバースクエアーを後にする。

PM5:30カトマンズ市キャンディール協働推進部長の紹介で、カトマンズの慈善団体NARAYAN PARIWAR CLUB(NPC)を訪ねる。理事長チャクラマン・ドンゴル氏が、NPCの4階建の白い物の玄関前で待っていてくれた。市民への医療奉仕、文化遺産の保護や若者への教育啓蒙など行っていると言う。狭い敷地に建つ建物内には、診療所、図書館も作られていた。運営は、政府からの補助や基金の利子で行っているとの説明を受けた。

理事長チャクラマン・ドンゴル氏は、P・L・シン氏がカトマンズ市長の時、松本へ一緒に訪問した経験があり、鈴木理事長にも2〜3度も会っているとのこと。今度、カトマンズ市民への文化活動、情報提供として、FMラジオ局を設立したいとの事であった。

カトマンズ市民による、市民の為の慈善事業団体があり、積極的に活動を行っている事に感銘し、心からの激励をして団体の方々に敬意を表しながら別れた。
診療室の様子 慈善団体の玄関前で
PM6:30MHC支部会員による夕食会がキャンディール氏の自宅で開催され、参加者全員が招かれた。この日、カトマンズを離陸する前のあわただしい中であったが、2時間ほどの余裕時間を持つ事ができた。私達の訪問時間に合わせるように、1年半前までカトマンズ市長代理だったスルヤ・シルワル氏や現部長サンタナ・ポハレル氏も合流して、鈴木理事長との旧友を温め合った。彼らもMHCカトマンズ支部会員として、訪問する度に長年応援してくれている。
リビングルームの床には、ビール、コーラそしてこの日の為の用意したウィスキーが出て、飲むにつれ座が盛り上がった。
夕食の家庭料理ダルバートもおいしく、おかわりの盛り付けに忙しい。「今度皆で一緒にチトワンのサファリに行こう」と話題
に事欠かない。ネパールを知り、カトマンズを愛する者が、心打ち解けて語り合う喜びがそこにあった。
「友情に乾杯!」。キャンディール夫妻の友情と限りないご好意に深く感謝申し上げたい、「本当にありがとう」。

PM8:30皆に別れを告げ、再会を約してカトマンズ空港を目指す。カトマンズ空港で搭乗手続きを済ませ、いよいよ出国することとなった。
私達は深夜の便で、カトマンズ空港を飛び立つ。さようならカトマンズ、そしてネパール。皆、座席に就くと、今日一日の疲れと一種独特な胸のときめきが交錯して、なにかに陶酔しているような面持ちをしている。「皆さん、お疲れさん」。こうして全員無事、日本への帰国の途についた。

参加者の方々、カトマンズ市の皆さん、松本市民を始めとする大勢の皆様のご協力に、あらためて深く感謝申し上げます。ありがとうございました。1月3日PM1:00関西国際空港に到着。貸切バスでPM8:00松本に無事到着。ここで解散としました。ご苦労様でした。
パシュパティナート参道で花など売るみやげ店 しば神の化身、憤怒を表すカールバイラブ像 旧王宮入り口に立つ門兵とナルシング像